服って「新しい皮膚」だよねという話

服を着る理由って、人によって様々で「オシャレになればモテる」という思春期男子特有の謎理論だったり、服を着てオシャレをすることが好きだったり、したかなく着たりするものだったりする。
四人の女性を主人公にした高野雀『あたらしいひふ』では、四者四様に「その服を着る」理由について過去を振り返るモノローグを中心にして明らかにしていく。
「「ひふ(皮膚)」と「ひふく(被服)」って似てるな…社会的な皮膚としての被服…??」と、あとがきにあるが服はよく鎧に例えられることが多いけど、もうちょっとしなやかな「皮膚」として『あたらしいひふ』と名付けたタイトルセンスにも脱帽した。
前向きな理由でモード系/ギャル系の服をえらんでいる渡辺さんと田中さんには共感を覚えた。どちらも「自分をもっと素敵に見せたい」と思ってそれを服を着ることによって叶えている「カッコよさ」をもっているキャラクターだからだ。僕が自分で選んだ服を着る理由である「どうせ着なくてはいけないのなら、自分がよく見えるものを選ぶべき」という持論と重なる点が多い。
(だからといってオシャレかどうかというのは別の問題なのだけど。それは受けとめる側の主観的な問題だからだ。自覚はないのにサブカルぽい服装だよねと言われることが割りと多い。サブカルぽいってなんだ、ヴィレヴァン好きか。いや、好きだけど…有名になってしまって安易に好きといったらなめられる二次元オタク界隈の害悪さに目を向けて怒るべきかもしれないがそれは別の話)

 

”それまでどんなに取り繕っても出なかった最適解がそこにはあったのだ”
”どうやっても自分の身体から逃れられないのだとしたら せめて自分が素敵に見える服を”
と回想するモード系の渡辺さんは高校時代にバイト代をつぎ込んで買ったワンピースを思い出し、
”わたしの「かわいい」はお前には通じないかもだけど わたしの気持ちを強くしてくれるんだよ”
と回想して化粧やネイルアートで盛るギャル服の田中さんは「田中なぁ、そんな化粧で上っ面ごまかしたところででな、人間結局のとこハートが勝負なんだぞ」と説教たれる教師に「ハートて。そんなにハートとやらが大事ならなんで見た目の注意するんすか」とひとりごちる。
渡辺さんだって、規定の制服を着ないでいたら「くだらん理屈を言うな。制服は制服らしく着るんだよ」と教師に説教され「かっこよくして駄目だなんてくだらない。規定がくそダサいからじゃん。私服校行けばよかった」と愚痴っている。
あれ、この過去にも二人の共通点が!

 

「ちょっとー服オタクがしつこいんだけど!」
「しつこいのそっちだろ」
そして、こんな掛け合いをできる二人だから、見た目は正反対でも性格の芯は似ているのだ。ファッションの好みが違うだけで(お互いに主張が強いファッションであるがゆえに)全然違う世界の人だとお互い思いがちだけど、二人とも似たもの同士。そう考えてみたら、この二人から百合みを期待せざるをえないな……。(正反対のカプにも萌える百合厨)

高橋さん、鈴木さんの二人の気持ちもわかる。
「服を着るのが面倒くさい。化粧ですら面倒くさいのに。だから私服をパターン化して『制服化』する」高橋さんも、
「ルックスやサイズが平均点。悪いことではないけど、良いことでもなくて。選ぶ服は無難な服ばかり。なりたい自分を探して色んな服を着てみたいけど、きっと似合わないし、そんな格好をしたら誰かが自分を笑うんじゃないか」と心に秘めて
"あの子の服も髪も爪も全部が全部 わたしを見てと眩しい声で叫んでいるみたいでちょっと羨ましい"と田中さんを羨んでしまう鈴木さんの気持ちもわかる。
ていうか、加筆ページではこの二人で話してるし。無印良品ユニクロいいよね。ノームコアぶれる。万歳。

この四人は、渡辺さん・田中さん、高橋さん・鈴木さんの四人二組はなぜ服装がバラバラなのにペアとしてみれるのか。
渡辺さん・田中さんの二人は「自覚的に服を、ファッションを選ぶことで自分の気持ちを強く持てるようになった」が
高橋さん・鈴木さんの二人は「服を選ぶことに対して気持ちや周りの目が邪魔して、積極的になれない」という共通点があるからだ。
一言でいえば、「服によって救われてるかいないか」。
どちら側の気持ちも僕はわかった。
欲しい服のサイズで選択肢がなく悩んだりするとき、そういう「僕がオシャレをしてもいいんだろうか、誰も見てないのに」と未だに思い出しては自問自答してしまうことはある。
オシャレをしようと思う前は(正確に言えば「オシャレになればモテる」という思春期男子特有の謎理論からオシャレに興味を持ちファッション誌を買ってみる前は)僕も服を選ぶことに対して後ろめたい気持ちもあったから、その名残だろう。
でもそれは「カッコイイ服を着てオシャレして女の子にモテたい」から服を一緒に買いに行くようになった友だちがいてくれたから、「その服いいな」とお互いのオシャレを褒め合うコミニュケーションがあったから、自分で服を選ぶことの後ろめたさはほとんど消えてくれた。そこから楽しめるようになった。
そういう服を選ぶ楽しみや理由を思い出させてくれるいいマンガだった。
高橋さんと鈴木さんは、渡辺さんと田中さんに出会って「服を選ぶ楽しみ」を知って変われることを期待する予感させる加筆ページだったのがすごくいい。

"どうやっても自分の身体から逃れられないのだとしたら せめて自分が素敵に見える服を”というのは服を選ぶ上で最も大切なことに他ならないし、大切なことをファッション誌よりも回りくどくではあるけど、高橋さんたちみたいな消極的なマインドから積極的に楽しむように気持ちが変わった経験がある身としては、とてもオススメしたい。女性はいわんや、男性でも。

 

こういうセンスいい共感を呼ぶ作品を知ってて人にオススメしてすごいねと言われたいって思うマインドが透けて見えるから私服も「サブカルぽいね」と言われてしまうんだろうかと気づく。
ウ、ウワァー!


「オシャレしてもモテないことがわかったから、なんかもう服を選ぶことが趣味になってる」UNDERCOVERプラダ型リュックを1ヶ月バイト代を使わないで昼飯を抜いて買った友だちのことをふと思い出してしまった。つまり、渡辺さん、田中さんタイプになるということはそういうことなんだろう。
そんな感情や過去を去来させてくれる作品はいい作品だと思うので、これはいいマンガです。
『13月のゆうれい』もそういうマンガだから感想を書きたい。