2017年の最後は長い一日(コミケ行ったよ)

30日はジンギスカン→串かつ→ベルギービールを飲んだ。
秋田君にフィロソフィーのダンスを薦めたけど、知っているとは(酔っ払いに話を合わせたのかは別として)
チアーズで3本ビール飲んだのをレシートで確認したけど(北谷(ちゃたん)、ドゥシャス、セゾン)セゾンを飲んだの覚えてねえ!
帰ってきて風呂に入って2~3時にテツが来る予定が、風呂に入ったまま寝過ごしそうになるとはな(事実)
ほぼ始発に乗って行く朝からのコミケは初めてだった。
寒い寒い言ってたら、雪が降ってきたなんて冗談じゃなかった。
買っていたときは「こういう本作りたいな」という気持ちが湧いたので、とりあえずお金(印刷代、謝礼、参加費)とイラストレーターとテキストを色々考えてみたい(考えるのはただなので)

「肉の本」2、3を買っていたけど、1は置いてなかったよな?

服って「新しい皮膚」だよねという話

服を着る理由って、人によって様々で「オシャレになればモテる」という思春期男子特有の謎理論だったり、服を着てオシャレをすることが好きだったり、したかなく着たりするものだったりする。
四人の女性を主人公にした高野雀『あたらしいひふ』では、四者四様に「その服を着る」理由について過去を振り返るモノローグを中心にして明らかにしていく。
「「ひふ(皮膚)」と「ひふく(被服)」って似てるな…社会的な皮膚としての被服…??」と、あとがきにあるが服はよく鎧に例えられることが多いけど、もうちょっとしなやかな「皮膚」として『あたらしいひふ』と名付けたタイトルセンスにも脱帽した。
前向きな理由でモード系/ギャル系の服をえらんでいる渡辺さんと田中さんには共感を覚えた。どちらも「自分をもっと素敵に見せたい」と思ってそれを服を着ることによって叶えている「カッコよさ」をもっているキャラクターだからだ。僕が自分で選んだ服を着る理由である「どうせ着なくてはいけないのなら、自分がよく見えるものを選ぶべき」という持論と重なる点が多い。
(だからといってオシャレかどうかというのは別の問題なのだけど。それは受けとめる側の主観的な問題だからだ。自覚はないのにサブカルぽい服装だよねと言われることが割りと多い。サブカルぽいってなんだ、ヴィレヴァン好きか。いや、好きだけど…有名になってしまって安易に好きといったらなめられる二次元オタク界隈の害悪さに目を向けて怒るべきかもしれないがそれは別の話)

 

”それまでどんなに取り繕っても出なかった最適解がそこにはあったのだ”
”どうやっても自分の身体から逃れられないのだとしたら せめて自分が素敵に見える服を”
と回想するモード系の渡辺さんは高校時代にバイト代をつぎ込んで買ったワンピースを思い出し、
”わたしの「かわいい」はお前には通じないかもだけど わたしの気持ちを強くしてくれるんだよ”
と回想して化粧やネイルアートで盛るギャル服の田中さんは「田中なぁ、そんな化粧で上っ面ごまかしたところででな、人間結局のとこハートが勝負なんだぞ」と説教たれる教師に「ハートて。そんなにハートとやらが大事ならなんで見た目の注意するんすか」とひとりごちる。
渡辺さんだって、規定の制服を着ないでいたら「くだらん理屈を言うな。制服は制服らしく着るんだよ」と教師に説教され「かっこよくして駄目だなんてくだらない。規定がくそダサいからじゃん。私服校行けばよかった」と愚痴っている。
あれ、この過去にも二人の共通点が!

 

「ちょっとー服オタクがしつこいんだけど!」
「しつこいのそっちだろ」
そして、こんな掛け合いをできる二人だから、見た目は正反対でも性格の芯は似ているのだ。ファッションの好みが違うだけで(お互いに主張が強いファッションであるがゆえに)全然違う世界の人だとお互い思いがちだけど、二人とも似たもの同士。そう考えてみたら、この二人から百合みを期待せざるをえないな……。(正反対のカプにも萌える百合厨)

高橋さん、鈴木さんの二人の気持ちもわかる。
「服を着るのが面倒くさい。化粧ですら面倒くさいのに。だから私服をパターン化して『制服化』する」高橋さんも、
「ルックスやサイズが平均点。悪いことではないけど、良いことでもなくて。選ぶ服は無難な服ばかり。なりたい自分を探して色んな服を着てみたいけど、きっと似合わないし、そんな格好をしたら誰かが自分を笑うんじゃないか」と心に秘めて
"あの子の服も髪も爪も全部が全部 わたしを見てと眩しい声で叫んでいるみたいでちょっと羨ましい"と田中さんを羨んでしまう鈴木さんの気持ちもわかる。
ていうか、加筆ページではこの二人で話してるし。無印良品ユニクロいいよね。ノームコアぶれる。万歳。

この四人は、渡辺さん・田中さん、高橋さん・鈴木さんの四人二組はなぜ服装がバラバラなのにペアとしてみれるのか。
渡辺さん・田中さんの二人は「自覚的に服を、ファッションを選ぶことで自分の気持ちを強く持てるようになった」が
高橋さん・鈴木さんの二人は「服を選ぶことに対して気持ちや周りの目が邪魔して、積極的になれない」という共通点があるからだ。
一言でいえば、「服によって救われてるかいないか」。
どちら側の気持ちも僕はわかった。
欲しい服のサイズで選択肢がなく悩んだりするとき、そういう「僕がオシャレをしてもいいんだろうか、誰も見てないのに」と未だに思い出しては自問自答してしまうことはある。
オシャレをしようと思う前は(正確に言えば「オシャレになればモテる」という思春期男子特有の謎理論からオシャレに興味を持ちファッション誌を買ってみる前は)僕も服を選ぶことに対して後ろめたい気持ちもあったから、その名残だろう。
でもそれは「カッコイイ服を着てオシャレして女の子にモテたい」から服を一緒に買いに行くようになった友だちがいてくれたから、「その服いいな」とお互いのオシャレを褒め合うコミニュケーションがあったから、自分で服を選ぶことの後ろめたさはほとんど消えてくれた。そこから楽しめるようになった。
そういう服を選ぶ楽しみや理由を思い出させてくれるいいマンガだった。
高橋さんと鈴木さんは、渡辺さんと田中さんに出会って「服を選ぶ楽しみ」を知って変われることを期待する予感させる加筆ページだったのがすごくいい。

"どうやっても自分の身体から逃れられないのだとしたら せめて自分が素敵に見える服を”というのは服を選ぶ上で最も大切なことに他ならないし、大切なことをファッション誌よりも回りくどくではあるけど、高橋さんたちみたいな消極的なマインドから積極的に楽しむように気持ちが変わった経験がある身としては、とてもオススメしたい。女性はいわんや、男性でも。

 

こういうセンスいい共感を呼ぶ作品を知ってて人にオススメしてすごいねと言われたいって思うマインドが透けて見えるから私服も「サブカルぽいね」と言われてしまうんだろうかと気づく。
ウ、ウワァー!


「オシャレしてもモテないことがわかったから、なんかもう服を選ぶことが趣味になってる」UNDERCOVERプラダ型リュックを1ヶ月バイト代を使わないで昼飯を抜いて買った友だちのことをふと思い出してしまった。つまり、渡辺さん、田中さんタイプになるということはそういうことなんだろう。
そんな感情や過去を去来させてくれる作品はいい作品だと思うので、これはいいマンガです。
『13月のゆうれい』もそういうマンガだから感想を書きたい。

 

 

Spotify、QOL上がる便利さだけど欠点も…

最近、サブスクリプションSpotify(といわれている定額音楽配信サービス)を使いだしたんですが、QOLが高まりすぎてやばいという話。
音楽配信サービスの雄といえば、日本独自のサービスとして一昔はAUの「着うたフル」(ガラケー時代も遠くなりけり)、エミネムの「Lose yourself」が流れて人がiPodを聴きながらシルエットのCMで一定の知名度と「iPod」とハンドルされたiTunesStoreがあります。

Eminem iPod + iTunes commercial (HD) - YouTube

でも、当時の中学生の僕は思っていました。
「それだったら、レンタルで借りたほうが安いからそれでいいじゃん」
「本当に好きだったら買うし」
……いつの時代も中学生はお金がないものです。当時は定額音楽配信サービスなんて「あったらいいけど、儲からないからできないか」と思っていました。
時代が、やっとその考えに追いついたといっても過言ではないのかもしれません(過言だ)

Spotifyしか使っていないので、AppleMusicとの比較が自分自身でできないのはいけないですが、この記事に書いてあるような「まだ知らない、未知の音楽」を探すことに長けてるRadio機能がSpotifyに軍配が上がるようです。
(同名の機能がAppleMusicにもあるけど、レコメンドしてくれる精度はいいのか気になる)


あなた好みの新譜を集めてくれる、Spotifyの新しいアルゴリズム|WIRED.jp


Apple MusicからSpotifyへの乗り換えとApple Watch問題 – MENBOU

ということを、フィロソフィーのダンス「ザ・ファウンダー」がSpotifyバイラルチャート1位を取ったので思いました。


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加茂啓太郎×寺嶋由芙×rionos鼎談~このチームでサブスクのバイラルチャートに入る名曲を作りたい(宗像明将) - 個人 - Yahoo!ニュース

『そこは名曲を作りたいですね。国民全員が知っているような曲を作りたいというのがミュージックマンとしての悲願ですからね。どんどんサブスクリプションになって、バイラルチャートが本当のヒットチャートになっていくだろうから、そこに入る曲を目指すということでしょうね。』

よくこんなに聴いたな、呟いたなフィロのスのヲタクinclude俺(だけではないのかもしれないけど)
それはそうと、加茂さん、「パラドックスが足りない」もAppleMusicだけではなくSpotifyにも入れてください。

でも、サブスクリプションというのは「そのサービス(Spotifyだと、Spotify内の配信されてる音楽を聴く)を使う権利を借りている状態」なので、いざサービスが終わったら聴いてた音源が、DLしたはずの音源が聴けなくなってしまうのが弱点。あと、音質がCD並みではあってもハイレゾではないとかなんとか。
「新しい音楽との出会い」を個人的に求めるなら、最適なサービスではあるのに間違いない。サービス終了を考えたら、SF的にはデッドメディアと言われるフィジカルなCDやBDに頼ったほうが保存が結果的にきいていいんじゃないと思うけど、何たる皮肉。

オタクにとって「推し」とは何か

アイドルオタクは「自分の好きな/応援しているアイドル(またはアイドルグループのメンバー)」を指して「自分はあの娘を推している」と意思表示をする。それは「推しメン」あるいは「推し」と称されることが多い。例えば僕は「奥津マリリ推し」だし「フィロソフィーのダンス推し」だし、または「BiSHアイナ・ジ・エンド推し」でもある。
「○○を応援している状態」を簡潔に表す言葉だ。

二次元のアニメやゲームのキャラクターに対しての好意的な表現は、もはやほとんど死語だが「萌え」と言われた。
オタクは自らをオタクと称するとき、オタク趣味ではない人を「一般人」と指す。「一般人」と自分たちオタクは違う(相手は同好の士ではない)という認識を持っているから、あちらとこちらを分別をする。
そのためにジャーゴン(同じグループの間でしか通じない言葉)を使うのは、とても分かりやすい分別の方法だ。

ところが言葉とは曖昧で、使う人によって意味が増えて(あるいは元々の意味を失って別の意味を持つ)ようになる。
ということを、吉本隆明「悪人正気」を読んだときにわかった。
「カリスマ」は今や「カリスマ主婦」「カリスマ美容師」に代表されるように「1つ抜きん出ている人」を指す言葉としてカジュアルに使われているが、元々は思想家など特定の人物においてのみ使われる言葉だった。それが戦後、使用される領域が広がったということを吉本隆明は言っていた。

それは「推し」というアイドルオタク由来の言葉をアニメやマンガの好きなキャラを「推し」と呼ぶように、このところなっていると気づいた。
目くじらたてるほどではないと分かっていても、なんとも言えない違和感がある。

みんな、一般人ですよ実は

風呂あがりなんですが、頭痛がする。
佐藤浩市主演「石つぶて」というWOWOW連続ドラマをながら見しながら書き始めた。
佐藤浩市、年をとったので白髪も増えたような半隠居みたいな役をやることが最近みかけるけど、意外とアツい演技もいけるぞ。

「僕は二次元オタク→アイドルヲタクになりどっちも楽しめてるが、それは誰でもそうなるとは限らない。むしろ、二次元オタクはアイドルを毛嫌いする傾向にある。
その事についてはなぜそうなるのかという推論があるので、また別の記事で書こう。」
と以前書いたが、予告通りそれを書く。

 オタク、日本語ラップヘッズのパンピー

といつつ3日経った。ここから再び書き出そう(今は11/8)

「オタク」と一般的に言えば「萌え〜!(死語)」な二次元(オタクっぽいマンガや深夜アニメ、そして女児向けアニメまで範囲に入る)人を指す。
ざっくばらんに言えば「なんかよくわからねえアニメやマンガが好きなモテなさそうな男」というパブリックイメージがパッと思い浮かぶだろう。
それは半分合っているが、半分間違ってもいる。
たとえ、コミケに行ったことがなくても、それどころか同人誌即売会やオフ会に行ったことはなくても(つまり、インターネット上で見受けられる『オタク的イニシエーション』を受けていなくても)、オタクぽいマンガやアニメが好きで「自分はオタクだ」という自己自認をしている人が今は若者に多い。それほどに「オタクのパンピー化」が進行した。

「俺、らき☆すたハルヒ観てるからオタクっすよww」という煽りコピペが昔あったが、それは何も不思議なことでもなんでもなくなっている。もう10年も前なのだ。10年そういうのを好きでいれば、オタクと自他共に言えるのではないか。
(煽りやdisりのために言ってるのではなく、本当に『らき☆すた』や『ハルヒ』がきっかけで深夜アニメにハマったのが、2006年辺りに思春期を過ごした人の特徴かもしれない。僕も含めて。今だったらそのキッカケになる作品はなんだろうか?)
ただ、このコピペで肝(きも)なのは「オタクは教えたがり(教養主義的)であるがゆえに、不勉強な昔の作品をdigらない初心者相手に『にわか』と叩くし、言われた側は『は? そんなんだったらにわかくらいでちょうどいいし』(実際そういうツイートを見た)という売り言葉に買い言葉でお互いの溝が深まるばかりである」という点にある。
もちろん、そう言われたのを鵜呑みにして相手が同じヴァイブスだと期待し、傷ついたり実は小馬鹿にされてた経験からくる恨みをオタク側が不寛容になることで晴らしてるというパターンもあるのだけど……。

服部昇大『日ポン語ラップの美ー子ちゃん』でも書いてあったが、
「まずは自分でディグる! ディグはHIPHOPの基本。王道に近道なんてないわ、どんなジャンルでもそれが本物に近づくための唯一の道よ!」
ということだし、今では「本物に好きだったらあれこれオススメして手助けするよりも自分で見つけていく骨のあるやつこそ残る。信用もできる」というスタンスで構えれば、お互いにストレスなくていいのではないかと思う。

「教えたがり」という名のマウンティングについては、このブログについて詳しくのっている。

文化系マウンティングへの対策 | にどね研究所

日本語ヘッズにせよ、二次元オタクにせよ、「勉強」が必要な趣味を選んだ者であることには間違いない。だからこそ、「不勉強」な者には不寛容なのだということがわかってくる。
また、「ハルヒ」「フリースタイルダンジョン」など、世間的認知やスマッシュヒットした番組や作品が出てくると、そういう「digる」といった不文律を知らない人が入ってくるため、不文律は有耶無耶になることが多い。相対的に「ハマりたて」の人がシーンに増えてくる。「ハマる」と人はそれを名乗りたくなる。
それは「オタク」「日本語ラップヘッズ」という属性の「パンピー化」にほかならない。

次は……

高野雀作品か志村貴子について書きたい。

ていうかもっと書くネタを増やそう。Twitterとのつかいわけをするために。

だって今アニメで気になって観てるのは「宝石の国」しかねえもん!だって曲がオサカナちゃんの照井順政だぜ!?

ヤマカンがいたWUGがのよかったよなって話

監督という仕事は上手くいけば、作品における名声を自分の物にできる。そして悪評もすべて自分がおっかぶされる仕事だ。たとえ、キャスティングや脚本に関わっていない監督だとしても、監督の仕事がよくないと評価され叩かれてしまう。
多くの人が関わるはずの作品が自分自身の評価と直結している。
アニメに限らず、一般映画においてもそういう傾向にある。
もちろん、それだけ話題に(良くも悪くも)なればだけど……。そういう意味では、炎上して話題になるヤマカンがいてよかったのかもしれない。前シーズンのWUGは。

4話までWUG新章を観ていて「これはファン以外に波及することなく、話題にすらならなくなってしまうだろう」と危惧するようになった。
Twitterの感想やまとめサイトでも散見される意見ではあるが、「なぜ、3年前のデビュー曲をMステ(のパロディ)で歌う?」(アイドルアニメだし、新シーズンだから話題とお約束でライブシーン入れたんだろう)といった1話から見られた新しく作った世界観に基づく設定の甘さがはっきりと見られるのだ。


山本寛 公式ブログ - リアリティ - Powered by LINE

『「この世界観、この世界ではどこまでアリなのか?」ということを前提にしない限り、全ての「リアリティ」に関する議論は、全て不毛なものになるでしょう。
「フィクション」は所詮大ウソなのだから、意味のないことなのです。
(中略)
仮にも「続編」と銘打つならば、前作の「リアリティ(=世界観)」は受け継ぐべきだ、と。』

イムリーにヤマカンもブログ更新してたので貼っておく。
いやーほんとにそうだよ。